おかえりなさいのキスと小さな嘘
最近キスをするのが怖い。特におかえりなさいのキス。行ってらっしゃいも、引きずられるようにできなくなる。
きっかけは些細なことで、小さな嘘。
おかえりなさいとキスをしたら、軽くアルコールの匂いがした。飲んできたのなら正直に言ってくれたらそれ以上追及なんてしないのに、飲んでないと言われてしまう。ケンカなんかそんなことでしたくない。
あ、そっか。ごめんなさい。これで済ませるのが一番だ。余計なことを言うとろくなことがない。ケンカになるならまだしも空気がきしみ始めたらどうしたらいいんだろうと思うと、それ以上は何も言えない。
時々思う。私が昼間に外でいつもよりきれいに化粧をして誰かと会ったとして、その過ぎた時間から持ち帰った雰囲気に気が付いてもらえることなんかあのだろうか。
過去に、私しか知らない時間を過ごしたことのある誰かに、嫉妬をしてもらえることなどあるのだろうか。
例えば今日、新しいスキンケア用品をそろえて、イプサの一式を使って帰りを待っているけれど男の人が私の肌に指を軽く触れたところでそれに気が付いてくれるとも思わない。
おかえりなさいのキスをするのが怖い。誰と飲んでいたんだろう。飲んでいないとまで嘘をついて、何を話していたんだろう。
嫉妬と猜疑心、似て非なるもの。グッチのエンヴィは嫉妬という名を冠した香水で、昔私は大好きだった。でも猜疑心という名前の香水はまだ目にしたことがない。
赤いネイルを塗りながら、そんなことを考えて乾かしていた時、こういうことを考えるときよく赤いネイルを選んでいることに気が付いた。パラドゥの赤いネイルはリボンのパッケージで小さな愛らしいデザインだけれど、赤いネイルを使う時はいつも心の中で血が爪の色を染めている。
映画で、ロリータの足にペディキュアを塗っているシーンがあったけれど、自分が男ならば女の足に赤いマニキュアを塗って猜疑心と嫉妬で束縛できるのに。